大学試験センター試験の本当の意味について考えるお話。

昔、共通一次、今、センター試験。
最近は、私立大学もセンター型なるものが多くあるようですが、
国公立大学を目指すなら避けて通れぬ、最初の関門。

「子供の個性・可能性をつぶしてしまう」と日本流の受験・教育システムに批判もあるようですが、自分は、この日本流の受験システムこそが、今の日本経済を支えたと思っていて、今後も継続していくべきだと強く感じています。

なぜなら、この仕組みがなくなれば、格差が広がり、国力を下げると考えるからです。

中学や高校で自身の将来を明快に定め、それに向かい邁進できる学生はそう多くないです。日本もスポーツの分野を中心に、10代で驚くべき活躍をする人もでてきましたが、そうした人が最近多くなってきていることを鑑みても、現在の教育システムが一概に悪いとも言えないのではと思います。
迷うことこそ、学生の特権。あれもこれもと希望を持つ人もいれば、「これ」と小さな時から定め頑張る人もいます。その反面、何がしたいのか全く思いもつかない人もいます。

ただ、どのような人生を歩むにせよ、目標を定め、それに向かい努力をすることが大事な要素でることは間違いのない事実。そして、競争を避けて通れないのも事実。

 当然、大学受験までの人生においても、そうした状況は様々な場面でおかれることもあるとおもいますが、本気で努力できているかというとそうでもないのが実際ではないでしょうか?

 もちろん、それを実践している人はちゃんといます。スポーツ界でいえば、福原愛ちゃんや、ハンカチ王子、ハニカミ王子、錦織圭君などがそれに該当します。そうではない多くの人にとって、大学受験ほど、大規模でわかりやすい形はないと思うのです。

進路を決めるにあたり、初めて自分の今後の人生を真剣に考える学生も少ないはず。

否応なく、目標を決める必要がでる。そして、目標が決まったら、それに向かって必要な努力が必要になる。それが大学進学ということであれば、大学受験は、わかりやすい形で結果がでる。

このプロセスを通じて、その後の人生で必要なことを沢山学ぶことになると思うのです。

 これが、日本式の受験システムがなければ、競争の厳しさをしる経験もせず、安きに流れる学生が確実におおくなる。一昔はやったAO入試でしたっけ?一芸に秀でた人(と思われる人)をガバガバとったけれど、あまりに基礎学力がなくて大学側が補修するなどというニュースが話題になっていましたよね。センター試験の準備をすることは最低限の基礎学力をつけることにもなると思います。自分の意志の弱さを嫌というほどわからされる人もいるでしょう。

 そうなると、確実に日本人の労働力・質の平均値を確実にさげることになるでしょうね。つまり、がんばる人はがんばるけど、がんばらない人はがんばらない、がんばれない。競争を避けて通る。目標を立てる力が持てない。人は弱い生き物だから、安易な道を選びがちです。昨今の派遣労働者がその象徴だと感じてます。

 人生の目標というのは定めにくいわけです。その練習が大学受験なのではないかと。

 センター試験の点数の高低、入る大学の偏差値レベルが大切なのではなく、将来を考え、イメージし、目標を立てること、高みを目指し、努力したか否かが重要なのだと思う。その経験をしている人と、していない人を比べれば、前者のほうが社会では確実に強い。目標を自ら立てて、そのための努力ができることこそ幸せな人生をおくれる条件だと、自分は考えています。

 そういう思いから、センター試験というか、日本の受験システムには意義があるとおもうし、今後も脈々と続けてほしいと思う次第。

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