毘沙門天


 サブカル師匠に「ノラガミ」は面白いと推奨され視聴しているのですが、序盤まで観ていてもイマイチ入り込めない、つまり「面白いと思えない」という状況が続いておりました。しかし、その思いは原作漫画を読んだことで一変し、次話以降が相当楽しみな状況であります。

自身は、基本アニメオンリー派で、一部例外を除きほとんど原作には手をつけきていません。それは、漫画は「ながら読み」ができず時間を食うことが主たる理由ですが、原作を知ってしまうと、アニメ化の際の構成、脚本の良し悪し、オリジナル要素や改変が気になってしまい、純粋な気持ちで楽しめなくなるという側面が大きいように思っています。

ようは、原作と比較してアニメを評価してしまうのが嫌だということです。あくまでもアニメはアニメ、原作は原作なのです。

なのですが、そのサブカル師匠宅へ遊びに行った際に、ついウッカリ手を出してしまいまして、アッサリ陥落し全巻借りてしまったわけです。そして、一気読み。

サブカル師匠が「アニメは原作の面白さが出ていない」といった主旨のコメントをされていたのですが、自分も同様の感想を持ちました。

原作があるアニメ作品は、常にこうした評価にさらされるのでしょうね。監督を始めとしたスタッフの力量が試されるところ。アニメと漫画、媒体が異なるわけで、一律に比較は出来ませんが、「アニメの方が原作よりも面白い!」という評価がアニメを作る側にとっては一番の評価になるのでしょう。

経験則的にギャグ漫画や4コマ漫画原作なんかは、比較的アニメの方が評価が良くなる傾向があり、世界観の深い理解に細部描写が必要な物語性の高い原作は評価が別れる傾向にありそうです。

こうした事象が発生することはアニメに限らずドラマ、映画、音楽など、原作や元作品がある物の宿命。評価にさらされること自体は悪いことではないと思うのですが、そもそもの違いを受け入れず、いわゆる原作厨の輩がアニメをフルボッコしている様は痛々しく見るに耐えませんね。多くは評価ではなく、私的制裁を加える事による自己満足、自己肯定でしかないわけです。

先日、山下達郎がラジオ番組で指摘していた「自分史の反映としての芸事の評価」と同じ話ですね。

と、このテーマはもっと哲学的に深く考察できると思うのですが、そうした力量はないのでこの辺で終わり。

要は原作を読み、これから登場する毘沙門天さんがド・ストライクであり、しかもCVが沢城みゆきさんということを知ってしまった以上、継続しない理由はないということです。そして、今後は原作とアニメの違いも意識していきたいと思う次第です。





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