研究ノート(大学教員の徒然)

なかたにじゅんいちの個人ブログです。

カテゴリ:国内MBA関連ネタ > 社会人大学院〜受験編

いよいよ明日、先日23日(土)に受験した
早稲田大学大学院ビジネススクール(夜間主)の合格発表です。

平常心で、普通に毎日を過ごそうと心がけていましたが、
さすがに、いよいよ明日という今日は何とも落ち着きませんでした。

合格を強く願いながらも、不合格だった時に落ち込まないよう
心の防衛線を張っている状態です。

「ま、仕方ない」

と本心で思えるシミュレーションをしていたり・・・
はぁ、小心者だ。

そんな心模様の中、大学受験の合格発表の日のことを思い出していました。

小学校5年の時に茨城県守谷町(いまは守谷市)に引っ越したころに、
親に連れられ行ったのが筑波大学で、子供心に

「この大学に行きたい」

と思ったことがきっかけかどうかですが、
受験したのは、

筑波大学第三学群社会工学類

1校のみ。滑り止めは1校も受験しませんでした。

今思うと、何とも無謀なと思うところですが、
結局、それが自分の生き方かなぁとも思う次第。

高校3年の春の時点では、到底、筑波大学など合格できる水準ではありませんでした。

都立大や名古屋工大がギリギリC判定。筑波大学は当然E判定。そんな状況。

転機だったのは、高校3年5月に転校したこと。
家の方針で、父親の転勤には家族で移動するということで、

本当は3年になるときに、富山から名古屋に転校する予定だったのですが、当初予定してた高校の転入試験に落ちまして、別の高校を受けなおし5月にずれ込んだのです。

多分、この経験がなければ筑波大学に合格することはできなかったと今でも思っています。

その理由は、

当時、富山県立富山高等学校という、いわゆる地元の進学校にいました。
地方にありがちな、国立至上主義で、塾に行かなくとも国公立大学に普通に合格できるレベルといわれていました。

振り返ると、私立専願など、つま弾きになる雰囲気漂うそんな高校です。

そんな高校にて、サッカーに明け暮れいましたので、成績は中の下、下の上といった水準。でも危機感はなかったわけです。

名古屋に引っ越すことになり、転校が必要となり、名古屋の自宅から近く同水準で、自分の学力で大丈夫そうな高校に転校となったわけです。

先生の見立てなどもあり、

千種高校

がその学校でした。名古屋と言えば、旭丘、菊里などあるのですが、ま、自分自身の学力的にはそうなのだろうと、特に選択権はなく、言われるがままでした。


で、転入試験を受験したわけですが、問題はサッパリ答えられませんでした。当然ながら、不合格。

薄々感じていたのですが、

「いやぁ、自分はこんなに勉強していなかったのか」

と、強烈に反省した次第。

一度は、皆さんにお別れした富山高校に、出戻りもう1ヶ月通うことになり、いわゆるランクを下げて受験しなおし。

その高校は、名東高校。

今度は合格しました。
そして、受験生を新たな高校で過ごすことになりました。

いやいや、環境が変わるとこうも変わるのか。
何事も環境が大切であることを身をもって経験してしまったのです。

名東高校は比較的新しい高校で、
皆さん大学進学を前提にしていますが、

わかりやすく説明すると、
進学先は現役では、名古屋大学、時々大阪大学に1学年から2〜3名。
多くは私立狙い、浪人も多数という感じのレベル。

 富山高校は3年1学期前半で高校範囲はすべて終わり、その後は受験授業のような状態でしたから、5月に転入して受ける授業は全て学び終わっている状態。普通なら。

 ま、それが功を奏して、もう一回授業を受けることができましたし、周りが、とても楽観的というか、危機感がない状態の中、部活もなければ、転入し友達もすぐにできるはずもなく、一人、危機感に苛まれながら、とにかく勉強をするしかなかったのです。

 
 ストイックな勉強の毎日でした。
最近、東大生タレントのストップウォッチ勉強法なる本や、東大生ノートなどが売れているらしいですが、あんなの当然のことながら、実行していました。

 5月ころから平日は7〜8時間、休日は15時間くらい勉強してました。いやいや、今では考えられない・・・

 12月になると、2次試験の準備はすべてやめ、センター対策のみ。
センターの過去問を10年分、センター模擬を、旺文社、駿台、河合、代ゼミなど片っぱしから、毎日、全教科を回答しまくったわけです。


 ま、そんなこんな書き出したら、なにやら勉強しました自慢みたいで、全部消してしまおうか思ってしまったので、これくらいにして。

 センターは自己採点で720点くらいだったかな。

 センター判定は、筑波大学第三学群社会工学類志望者中、2位。
判定はもちろんA。東大もB判定。そんな結果。

 その勢いで2次試験に

「ま、ある程度失敗しても大丈夫」

 という思いで臨み、結果、無事合格。

でも、受験終わった瞬間には

「絶対無理だぁ・・・」

と、暗い顔していたと、今でも親に言われるので落ち込んでいたのだろう。

合格発表の日、テレメールのような手紙のような電報のような封書が届き、受験番号を見つけた時の嬉しさは今でも覚えている。

 一生懸命努力して、求めた結果を得た時の喜び

 大学受験の価値は、入った大学ではなく、こうしたプロセスを経験することにあるのだろうとおもうのです。

 なんだか、全く関係ない話になってしまいましたが、

明日が、早稲田大学大学院ビジネススクール一次試験の合格発表。

発送が明日となっていますが、今はインターネットでも確認できるのですね。

 何時にアップされるのだろう・・・

気になるけど、なんか、あの頃の合格の気持ちを思い出したので、落ち着かない気持ちをふっ切ることにして、今日は早く寝よう。

 結果はどうあれ、明日、合否はブログに書きます。

いやいや、全く時間が足りず、ギリギリの戦いでした。

試験は経営に関する文章問題が2文。
文章を読み、小論文的国語的設問がある。時間は2時間。

構成は過去問通り。

来年受験する人が情報集める頃に役立つように少し詳しく今年の問題を紹介しておきます。

問題

ジョージソロスの「ソロスは警告する」2008年講談社

から、現在おきている金融危機に対する警告部分が出題。

設問は3つ。

問1. 「1930年代の大不況」について、あなたの知るところを記述しなさい。

問2. 「一つの時代の終わり」とは、どのような特徴をもつ時代であるか記述しなさい。

問3.今日、懸念されている「世界的同時不況」を克服するために様々な経済政策・企業戦略について、あなたが考える意見を、500字以内で述べなさい。


問題

企業の競争優位に関する出題者のオリジナル文章だった・・・

設問は8つ。
語句の穴埋め、2つ、文章を読み解いての回答するものが2つ。

そして、
・コンティンジェンシー理論の特徴
・バリュー・チェーン分析の限界
について回答するもの。

そして、戦略提携について、形態例と欠点を回答。

そして最後は、

競争優位の源泉をめぐる議論について、その内容を説明すると共に、あなたの意見を500文字以内で述べなさい。
------


という問題でした。
付け焼刃じゃ無理な内容…

そりゃ事前の準備もしないでぶっつけ本番にならざるを得ません。

なのですが、なのですが、


試験の直前に、小生、大学の前にある喫茶店で最後の悪あがきで読みましたWEBページが、

Wikipediaの世界恐慌というページだったのですよ!!!!


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%81%90%E6%85%8C


問題を読んだとき、心の中で

「よっしゃーーーー!!」

叫びました。

でも、設問3つでも、ウィキ読んだ程度では到底歯が立たないわけです。
さらに、この問題気1時間半もかかってしまいました。

いやいや、試験の基本中の基本、時間配分を完全にミスしました。
問題兇諒が、とても難しかった。

コンティンジェンシー理論 など知りません。

競争優位の源泉をめぐる議論など詳しく知りません。

30分で、とにかく思いつくこと、下書きなしで書いてぎりぎり終了でした。

まったく歯が立たないということではなかったのですが、どうなんでしょうか?結果を待つのみです。

答え合わせは、間違っていることを確かめると、合格発表の27日(木)まで鬱になってしまうので、一切やりません。


会場は、約220人いました…

2次試験に進める人が何人なのか知りませんが、
約50%と仮定すると、2人に1人は一次試験で脱落、

最終的には定員45名なので、倍率4.8倍。

約5人に1人の割合で合格か…

これでダメなら、自分もその程度の人間ということで、自信喪失、一から出直しですね。


合格発表は11月27日(木)。
果報は寝て待て。今日の試験のことは、もう忘れようと思いながら、ダメなことを想定して、早稲田以外のMBAも探そうとしている自分がいます…

小心者です。

本日、早稲田大学大学院ビジネススクール(夜間主)の一次試験。

「大丈夫、大丈夫」

と自分に言い聞かせながら、現在、喫茶店でコーヒーを飲む。

久しぶりの心地よい緊張感。

落ち着いて、自分の知識・経験を素直に使うことのみ。

「わからないことはわからない。知らないことは知らない」

のです。

50分後にはテスト開始。
少しだけ、直前の悪あがきをしてから会場に向かうことにする。

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