研究ノート(大学教員の徒然)

なかたにじゅんいちの個人ブログです。

カテゴリ:大学教員の徒然 > 考えてみたこと諸々。

正確には、30〜34歳が25.6%、35〜39歳が26.0%という調査結果とのことです。(ちなみに、20〜24歳が47.0%、25〜29歳が31.7%)

これって「完全童貞」なのか「素人童貞」なのか気になるところなのですが、どうなんでしょう。

設問は、

「あなたはこれまでに異性と性交渉をもったことがありますか。」(1.ある、2.ない)。

となっていて、文章そのままに理解するなら「完全童貞」のことだと思うのですが、感覚的には「素人童貞」であるか否かで回答している人がいるような気がしますね(笑)

何のことかと申しますと、数日前ニュースにもなり話題となっていた、「第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査) 」のこと。

童貞率の方がキャッチーな感じがするのですが、メディアでは、「独身の交際相手なし」率を全面に打ち出していました。

こんな感じです。

「独身の交際相手なし」過去最高、男性7割 女性も6割 −TBSニュースアイ
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2869815.html
未婚男性の約70%が交際相手いない −日テレニュース24
http://www.news24.jp/articles/2016/09/15/07341093.html
「交際相手いない」男性7割、女性6割 過去最高を更新
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15HBD_V10C16A9CR8000/

唯一ライブドアニュースが、産経新聞の記事を使い、タイトルに性経験を出していました。PV稼げたでしょうね。

独身男性7割「交際相手いない」 「性経験なし」も増加 -livedoorニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/12023769/

交際相手がいないことが悪いことではないので、別に悲観することは無いと思います。しかし、国力維持という観点では、人口を維持する必要があります。少子高齢化が急速に進む日本において、人口維持のためには子どもを増やす、つまり出生率をあげる必要があります。出生率をあげるためには、兎にも角にもまずは男女が結婚してもらう必要があり、結婚のためには、まずは交際が必要という論理ですね。

この調査結果概要は、国立社会保障・人口調査研究所(http://www.ipss.go.jp/)にて参照することができます。

本調査結果に対するアレヤコレヤと真面目な論考はネットに多数ころがっているので、それにおまかせし、ココでは、調査結果概要の中から、特に、「第吃 独身者調査の結果概要」を眺めていて思ったことを徒然に書き残しておきたいと思う次第です。

<結婚の意志> 9割以上が将来結婚をしたいと思っているそうですが...

設問が以下ですからね、二者択一ならば、そりゃ「結婚するつもり」と回答しますよ。「出来ることなら結婚したい、結婚するつもり」という感じでしょうね。

設問「自分の一生を通じて考えた場合、あなたの結婚に対するお考えは、次のうちのどちらですか。」(1.いずれ結婚するつもり、2.一生結婚するつ
もりはない)。

結婚についての次の設問もなかなか考えさせられます。

設問「同じく自分の一生を通じて考えた場合、あなたの結婚に対するお考えは、次のうちどちらですか。」(1.ある程度の年齢までには結婚するつもり、
2.理想的な相手が見つかるまでは結婚しなくてもかまわない)。

男女ともに4割前後が、「理想的な相手がみつかるまでは結婚しなくてもかまわない」と答えている状況。
なんですか、理想的な相手って...。そんな思考を持つことは自然なのかもしれませんが、結婚できない人の多くは、その思考をこじらせているような気がします。特に年齢を重ねるごとに。

<結婚の利点・独身の利点> え?こんなこと聞いてどうしたいの?


独身の人からの回答なわけですが、こんな設問がありました。

設問「今のあなたにとって、結婚することは何か利点があると思いますか。」(1.利点があると思う、2.利点はないと思う)

そもそも、結婚ってメリデメでするものなのでしょうかね?メリデメを頭で考えたところで結婚なんてできませんよ。そりゃそれを一切考えるなとは言いませんが、最後は気持ちの問題です。

結婚で自分のメリットのみを相手から一方的に享受できるわけが無いじゃないですか。頭じゃわかっているのでしょうが、それを振り切れないままの人が結婚できないのでしょうね。

なお、メリデメの設問の後には、メリットは具体的に何かを選択する設問や、独身の利点を問う設問、未婚でいる理由を問う設問が続くのですが、結果をみていてなんとも気持ち悪くなってしまいました。

特に、未婚でいる理由に対する回答が、男女ともに、「適当な相手とめぐりあわない」「自由さや気楽さを失いたくない」が極めて多い状況には驚愕します。未婚でいるもっともらしい理由ではありますが、この結果からであると、未婚の人は、「自分にとってメリットを与えてくれる人で、独身の自由や気楽さを失わせない人」を求めているとなってしまいます。

結婚なんてそんなもんじゃありませんよ。一緒にいれば、良いことばかりじゃありません。嫌なところも沢山みえてくるでしょう。それをすり合わせていく互いの努力がいるわけで。
※ただし、基本的価値観は近いにこしたことはありませんので、結婚を前提とするならば、そのへんはちゃんとお互いを知る必要があるとは思います。

自由さや気楽さのことも、そりゃ結婚したら、独身と同じような生活はできないかもしれませんが、それと引き換えにして手に入れられるものが大きいからこその結婚ではないですかね。

と、この調査結果面白いので、興味がある人は是非結果概要を参照してみてください。

結果に対する批判ばかりも能がないので、ここからは、如何にしたら婚姻率、出生率を向上させることができるか、少し自身の考えを思うままに書き連ねてみたいと思います。

調査意図を推察すると、一応、子どもを持つためには結婚が不可欠であり、まずは婚姻率をあげること。結婚するつもりがありながら未婚なのは、交際相手がいないことが問題という話になっているようです。

となると、まずは交際相手がいないといけないということですよね。

交際相手を作るには、まずは恋愛をしなければならないわけですが、この恋愛を敬遠する人が多すぎるのではないかと。

誰かを好きになること、大切に想うこと、誰かに好きになられること、大切に想われること、この幸福感は何物にも代えがたいものだと思うのです。

しかし、代えがたい幸せを感じさせてくれる一方で、当然、その最中には耐え難い苦しみも感じることになるのです。こればっかりは仕方ありません。

恋愛には喜怒哀楽すべてが詰まっています。恋愛をすると、大なり小なり苦しみがあります。結婚できない人、交際相手がいない人は、この苦しみを避けすぎているのではないかと。

それを避けていたのではいつまでたっても人と一緒になんてなれません。人を好きになることの幸せを楽しみ、自らを成長させていかないとイカンですよね。一歩踏み出さないと。

経済的な事情を理由にする風潮があるようですが、もちろんある程度の経済力があった方が選択肢は広がるかもしれませんが、必須ということではないと思います。

身の程にあった恋愛をしたら良いのです。人間の価値はお金じゃありません。自分を磨きましょう。

そうしたことは早いうちに経験し身をもって知るべきだというのが自身の考え。ゆえに、学生たちにも常々言っています。大学生のうちに、狂うほどに人を好きになる経験をしよう、彼女(彼氏)を作り付き合おう、そして、別れよう、と。

「別れ」を経験することがポイントです。様々な終わりがあると思います。それを乗り越えてこそです。それを学生のうちにこれを経験しておくこととても大切で、経験ないまま社会人になってしまうことはとても危ないなと思うのです。

別の視点からもう1つ。

これは日本の価値観を変えていくことも必要となるのですが、結婚と離婚のハードルを低くすることが必要ではないかと。

既に離婚そのものは昔に比べ珍しくない世の中になっていますが、結婚できない人ってのは、「結婚したら離婚できない」と思いすぎているのではないかなと感じるのです。

事実婚のような文化も定着させていくべきだと思いますし、離婚に対するネガティブな印象ももっと無くしていく必要があると思います。それと、子どもを片親でも育てやすい環境作りも必要になりますね。

語弊があることを承知で書きますが、もっと気楽に結婚(事実婚含む)し、別れられるようにしてあげれば、婚姻率はあがると思います。(離婚率もあがるでしょうけどねw)

長くなりましたので、これくらいで。




「何故、英語の勉強が必要なのか?」

なんでこんなエントリーを書き連ねるかというと、自身が教員をしている大学の学生の壊滅的な英語力に危機感を覚えているからです。

中学レベルの英語すら怪しい学生が多いのが実情なのです。

これは、自身の務める大学だけの問題ではなく、いわゆる大学全入時代になり、学力試験が実質的に不要な大学、ボーダーフリー(いわゆるFラン)の大学に共通する問題なのです。

大学生にもなって、アルファベットから教えるという英語教育が必要なの状況。

そんな学生を大学生にしちゃイカンだろ!とも思うのですが、国の教育制度そのものの話に及ぶので、今回はそこには触れません。
※英語にかぎらず、初等数学すら怪しいし、漢字が読めないなんて問題もあるのですが、今回はあわせて割愛。

「何故、英語の勉強が必要なのか?」という点に絞ります。

何故かと問われればその答えは「将来の選択肢、可能性を広げるため」という結論に至ります。

英語を話せなくても就職はできますし、生きていくことはできます。 ゆえに必要不可欠かと言われれば、そうでもありません。英語なんて読めず話せずとも生きていくことはできます。

でも、確実に選択肢や可能性は狭まります。

そのことをどう思うかは、本人次第です。可能性が狭まろうが、選択肢が限られようが、それを良しとするなら勉強なんてしなくても良いかもしれませんね。

そんなの最後は本人次第。でも、教員の立場になると、それを看過できないのでもどかしい。自身が責任をもつ学生たちを、そんなレベルであることを知りながら放置して良いのか、と思い悩むのです。

ゆえに、勉強することを指示するのですが、そもそも勉強に対する必要性を感じていない学生が、意欲を持って勉強するわけもなく。そこから啓蒙しないといけない状況なのですが...。

続いて、
何故、英語の勉強が必要なのか?という話から、どの程度の英語力を最低限有していれば良いかという話をしたいと思います。

英語はできるにこしたことはありあせんが、すべての人がペラペラ喋れるレベルが必要かと言えば、必要とは思っていません。

英語を武器に仕事をしていきたいと思うなら別ですが、そうでなければ、必要が生じた時に、一生懸命勉強し、ある程度のコミュニケーションが取れるレベルまで到れる英語力を有していれば良いのではないかと思います。

では、それはどの程度の英語力かと問われると、定量的に答えるのが難しいところなのですが、読み書きレベルで、最低限でも中学卒業レベルの英語力があれば良いのではというのが、個人的見解。

公立高校の高校受験英語で、100点とはいいません。90点以上取れるレベルでOKです。このレベルの英語力がないと、日常生活に、あふれる横文字すら読めない、意味がわからないレベルです。

おいおい、大学に入るのに、中学レベルの学力も無いのかよ!と思う方もいるかもしれませんが、実際そいう大学生が多いのです。

大学は学問する場所ではなく、基礎教育の場所になってしまっているのですよね。
仕方ないです、現実は現実、なんとかするべく、自身の信じるところに基づき、もがいてみるしかありません。

大学生でありながら、中学英語すら怪しいことに危機感を覚えて欲しいのですが、どうしたらよいものか...。

※近い将来、高い精度で同時自動翻訳技術が実現するので、英語が喋れなくともどうにでもなると思います。だからといって、英語の勉強をする必要が無いかというと、それは違いますよね。そもそも勉強は何故必要なのかという議論になるので、今回は割愛します。



夏期集中講義で伊豆熱川にて地域活性化フィールドワークをしてきました。

伊豆熱川駅前に潰れた梅宮辰夫漬物本舗を見つけまして、ふと思ったのです。

「梅宮辰夫漬物本舗が出店した観光地って衰退しているのではなかろうか」

と。
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タレントショップブームの当時は、梅宮辰夫漬物本舗も勢いがありました。日経記事を洗ってみたら以下のような記事を発見。
梅宮辰夫漬物本舗、観光地立地が当たる――1年半で65店に。
(1990/12/20 日経流通新聞 3ページ)
 観光地を立地場所としてフランチャイズチェーン(FC)展開し、急成長している企業がある。長野市の梅宮辰夫漬物本舗(社長東城信生氏)で、八九年八月から多店舗化に乗り出し、約一年半で店舗数は六十五店に拡大した。ここ数年、国内旅行客数は順調に伸びているが、観光地の土産物店の売り上げは伸び悩み気味。そうした中で、同社のFC店は土産物店の活性化に一役買っているようだ。
 (中略) 
 このためFC店の売り上げは大半が好調。例えばFC一号店である長野・善光寺店は売り場面積十平方メートル程度で年間売上高は五千万円。大阪の花博会場に開設した実験店(二カ所で売り場面積は合計十六平方メートル)でも半年間で八千五百万円を売った。これまでに出店したFC店(十―十六平方メートル)のほとんどが年換算ベースで二千五百万―三千万円の売り上げを達成しているという。
 こうした実績を背景に、梅宮辰夫漬物本舗は今後も観光地への出店を基本に「各地の土産物一番店の兼業店としてのFC加入をすすめる」方針で、来春までには百店舗体制を確立する方針だ。 
FCという手法を取り入れ、集客出来ればという短絡的な判断で地元の企業がFC加盟し出店、そして、当地の没落とともに閉店。そんな流れでしょうか。

記事当時で65店舗、その後100店舗にまでなったのかは調べられていませんが、現在梅宮辰夫漬物本舗のホームページよると、17店舗。

umemiya
http://www.umemiya.co.jp/locate.html

「諸事情により営業していない場合がございますので直接店舗にお問合せのうえお出かけいただきますようお願いいたします。」

と記載がありまして、伊豆半島東伊豆、熱川温泉店はまさにそれに該当する店舗ですね。記載ありながら既に閉店している店舗は他にもありそうです。

潰れたのは、梅宮辰夫漬物本舗そのものが賞味期限切れということもあるでしょうが、残っている場所はの多くは、ある程度の集客力のある観光地ばかり。

少なくとも全盛期に比べ40店舗以上が閉店していることになります。その潰れたお店がどこにあるのかが気になります。

今思えば観光地と何の関係もない物産を全面に出すことに何の価値もありませんよね。何で観光地に来て地元と関係ないおみやげ買わなきゃあかんのでしょうか。観光地全体としての方針も何もあったもんではありません。

つまり、梅宮辰夫漬物本舗を出店した観光地は、地元に一体感は無く、何の観光戦略も無かったエリア。これが、冒頭に感じた 

「梅宮辰夫漬物本舗が出店した観光地って衰退しているのではなかろうか」
 
となるわけであります。 

地元事業主たちが、戦略をもって一体で地元を盛り上げていこうと考えるような観光地は、そもそも梅宮辰夫漬物本舗には手を出していないのではないか?と思うわけです。

何の裏付け資料も収集していません。単なる思いつきの仮説です。
※梅宮辰夫漬物本舗が出店した全ての観光地情報を集めることが出来れば、考察できるところですが、そこまで調べるつもりも現段階ではありません。問い合わせたら教えてくれるかな?

ついでに、現在の全国の観光地について憂いていることを。

観光地のおみやげ屋に入れば、ご当地モノNB商品花盛りです。(ご当地限定のプリッツやポテトチップスなどです)。これも、長い目で見たら地元観光地のためにはならないですよね。売れるからといって安易に取り扱っても大手菓子メーカーが潤うだけです。

観光客がお土産に落とすお金には限りがあります。そのお金を如何にして地元に落としてもらうか?このことを最優先に考えれば、ご当地モノNB商品なんて扱ってはいかんですよね。

大変でしょうけど、地元の商品をちゃんと育て土産物にしていくべきと思います。 「ここに来たらお土産はこれを買わないわけにはいかない!」という商品です。

観光資源とともに、地元の特産品開発が大切になってきますね。

と、以上、思ったことをとりあえず書き綴ってみました。

地域活性化(含む、観光地の活性化)、地域マーケティング、これからも追求していきたいと思います。 

と、こちらからは一旦以上です。 


 
 

カラオケは好きです。決して上手いわけでもないのですが(笑)

先日、諸事情にて始発までの約5時間、ヒトカラ(独りカラオケ)をしたのですが、その際に、もしかして?と思ったことありました。

そのもしかして?は、

アニソン(声優が歌うアニソン)は簡単なのはないか?

ということです。

ここ数年、アニメにハマり、日々聴く音楽おアニソンばかり、カラオケに行ってもアニソンばかり歌っていました。(こう書くと完全に痛い人ですねw)

今回はアニソン以外を中心に歌ってみたのですが、どうも上手く歌えない。昔から何度も歌ったことのある曲ですら。音程がとれない。歌詞のリズムがとれない。

あれ?下手になった?

そんなことを思って、アニソンを数曲歌うと、こちらは普通に歌える。

「歌い慣れ」ってのもあるとは思うのですが、アニソンとアニソン以外とを歌い比べていると、どうも、アニソンの方が音程取るのが簡単な曲が多い、つまり簡単。一方でアニソン以外は早々に技術がいる、ようは難しい。そんな気がしてならないのです。

音楽についてに専門的なことはサッパリ分かりませんが、

声優に歌わせる曲を難しくするわけにも行きませんよね。アニメの主題歌とするならば、複雑な曲よりわかりやすい音程、単純なメロディが向いているというのもあるかもしれません。

そんなことから、音程が取りやすく歌いやすい曲を作る傾向があるのではないかと。

どうなのかは、ホントのところは分かりませんが...

だれか詳しい方教えて下さい。

歌いたくなるアニソン+カラオケ・ベスト
テレビ主題歌
ポニーキャニオン
2010-08-18


2013年6月6日日経朝刊1面に「センター試験廃止へ」という記事が載りましたね。他紙には載っていないそうなので、日経さん特ダネなんでしょう。このニュースを目にしてから考えたこと徒然に書き残しておきたいと思います。

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■一長一短、どちらが良いと言い切れないから変えてみたら?
センター試験のような一発勝負を辞めてバカロレア方式にしようということらしいですね。どちらの方式にも良い面もあれば、悪い面もあるわけでしょうけれど、自分自身は、直感的には変えることによるメリットが大きいように感じます。十分に議論を重ね政治判断をしてくれれば良いと思いますが、その判断に際しては、これまでの共通一次に始まる歴史の中で出来上がった仕組み・利権構造に組みする勢力が当然反対するでしょうが、そうした抵抗勢力に力技で押し切られるような判断だけはしないで欲しいですね。

ちなみに想定される最大抵抗勢力は、私立大学でしょう。バカロレア方式になり、一発勝負要素が無くなれば、「滑り止め」的な受験の必要性が薄れてくる。学生1人あたりの私立大学受験数は減るのではないかと。そうなると、大学によっては受験料収入の大幅減少で大赤字に陥る大学が続出する可能性があります。経営的観点から反対するのではないでしょうかね。

教育を根本から変えるなら、ルールを変えてしまうのが手っ取り早い。今の日本の教育の現状を健康に例えるなら、食事療法をしているような余裕は無く、もう外科手術が必要なレベル。外科手術=受験生度変更、ではないかなと。

■センター試験への批判への反論
そもそも一発勝負はセンター試験を含めた大学受験だけの話ではありません。高校受験でもそうですし、日々の定期テストだって言うならば一発勝負。試験というのは全てが一発勝負なのです。

新聞記事によると、「受験生を1点刻みでふるい落とす手段として使われ、基礎学力を測るという当初の目的が薄れているとの批判があった」とあるんですが、ま、確かに当初目的が薄れているかもしれませんが、1点刻みでふるい落とす手段で良いと思うのです。時代とともにその目的や意義は変わるものです。

志望大学に1点足らずに涙をのむ、良いじゃないですか、それも人生。その悔しさを次の年にぶつけてくださいってことです。そもそも、余裕でボーダーラインを超えられる学力を持っていればそんな1点云々はありませよ。新聞に乗ってはいませんでしたが、1発勝負となると、たまたま苦手分野が出たとか、その日体調を崩していて本来の力を出せなかった人の救済策が無いなどという声もありそうですが、運も実力のうち、苦手が出たらボーダーが超えられないような人はそもそもNG、健康管理は学力以前の問題。そういうことだと思います。

制度が変わったからといって、そもそも勉強してこなかった人、学力が不十分な人が上位大学に突然大量に入れるようになるわけではないのですよ。一発試験であるセンター試験でも問題ないでしょ。

■バカロレア方式への批判への反論
これも新聞に『高校関係者からは「到達度テストの勉強に追われ、部活動など学業以外の活動がおろそかになりかねない」との声もあがっている。』とあるんですけど、どこの高校関係者ですかね?こんな事言う高校関係者は日本の教育のために居なくなって欲しいですね。まさかとは思うのですが記者の捏造じゃないですよね?

確かに、おろそかになる学生も出るかもしれませんが、別にバカロレア方式であろうとなかろうと、現在でも定期テストがあって、より上位大学へ進学したいと考える人は、何も高校3年生になってから突然勉強を始めるのではなく、それより前から相応の努力をしているでしょうし、部活動や学業以外の活動と両立しているでしょう。

どういう種類の試験制度になるかはこれからもしれませんが、むしろバカロレア方式になったら人によっては早々に希望する大学の到達点数をクリアしてしまい、その後の高校生活がより充実するかもしれませんよね。

新聞には高校2年生からとなっていまいたが、最低年齢排除してしまうべきではないかと。極論小学生でも受けられるようにして、飛び級制度も一緒に作ってしてしまえば良いとすら思っています。

■予備校・学習塾業界、変わるだろうなぁ
5年後目処にということで、大手を中心に様々なシミュレーションをしながらきたるべき時に備えることになるのでしょうが、これまで30年以上続いた仕組みが変わるってことは業界勢力図が一瞬で塗り変わってしまう可能性すらあります。環境変化に即応した新たな教育サービスが展開できれば、ただでさえ可能性のある学習塾業界に、さらなる可能性を感じてしまうわけです。ワクワクしちゃいますよ。

教育は国の礎、ゆえに国の制度に即して行われることに何の異論もありません。今回の動きに予備校・学習塾業界は抵抗勢力になってはいけないと思います。学習塾は環境の変化に適応していけば良いのです。

この変化で、伸びるであろう分野はぼんやり見えておりますが、ここには書きません。内緒にして虎視眈々と情報収集しておこうと思います。

■本質的な学力を測る試験制度に期待。ついでに制度導入とともに国が大学をランク分けしてしまえ!
バカロレア方式は、最低受験条件っていうやつになるのでしょうね。例えば、東大を受験するためには学力診断試験で90%の正答率が必須とかね。この時、テクニックを身につければ一定水準に達するような試験問題ではなく、本質的な学力を測れるような試験であって欲しいなと。

そのハードルは決して高くなくてよいと思うのですが、制度とあわせて大学を目的やレベルに応じて大学をカテゴリしておいた方が良いと思います。カテゴリAの大学の最低受験条件はこう、カテゴリBの大学の最低受験条件はこうと、複数基準を設けておき、最低ラインの基準でも、最低限の学力が必要としておくべきですよね。分数の計算すら怪しい人を大学生にしては行けません。

そうなると、いわゆるFランと言われる大学は壊滅することになるでしょう。それはそれでマズイとなれば国は新たな高等教育カテゴリを作り、そこにFラン大学を押し込むことをするでしょう。その時、そうした大学は単科大学・職業専門大学的な機関とならざるを得ないかなと。


と、まぁ、この分野に対して思うことや言いたいことはまだまだあるけど、こんなとこで。

バカ田大学 入学試験問題 馬科バカ田大学 入学試験問題 馬科 [単行本(ソフトカバー)]
出版:講談社
(2011-01-13)


 二刀流で話題の日ハムの大谷くんが5月23日、遂に1軍で投手デビューしたようですね。地上波、BSどちらも中継無しで投球内容がわからないところですが、5回86球を投げ6安打3四球2奪三振・2失点という結果は、高卒ルーキーとしては十分合格点といえますよね。

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 今日の結果を受けて、「野手と投手、どちらで伸ばすべきか?」という外野の議論は一層白熱していくことでしょう。何度か打者としての大谷くんは中継で観ていますが、醸し出すオーラはタダものでは無いですね。結果もしっかりだしていますが、インコースへの捌き方は高卒ルーキーとは思えないレベルです。

 プロ野球の世界は、打者も投手も極みの世界で競っているわけですから、二刀流だとどっちつかずになり凡庸な結果しかならないという意見は理解ができます。投手として先発ローテに入りながら打者として毎試合先発は調整上無理かもしれませんが、それでも大谷くんには、投手として30試合、150イニング登板の、打者としては70試合は先発出場で、先発前後は代打出場くらいで100試合程度は出場で規定打席には到達して欲しい。そして、結果は、投手として10勝、打者として、打率.280程度はマークして欲しいなと期待するわけです。

 どちらかに集中すれば、もっと成績を残せるのかもしれませんが、当面は二刀流で良いと思うのです。能力ある人間は、無理に1つのことに集中することは無く、どんどん可能性を広げれば良いと思うのです。 

 「二兎追うものは一兎をも得ず」という言葉を持ち出す人もいますが、これは一兎を追う能力しかない人に言っておけば良いのです。二兎を追う力、能力、可能性を持っているならば追えば良い。

 二兎を追うというのは、スポーツよりもビジネスの世界で今後必要なはなしだと思うのです。1つのことをコツコツというのは聞こえは良いですが、可能性を狭める話しだと感じています。専門領域は1つより関連する複数を持っている方が良いはず。様々な要素が複雑に絡み合い、これまでの当たり前が通用しない世の中では、一見異なる領域の物事を有機的に結合させ、それまで思いもよらなかった答えを生み出すことが求められると思うのです。

 と、こんなことを書いてみたのは、現在、仕事をしながら学問の世界にも身を置き、傍から見ると二兎を追っている状況にある自分ですが、仕事も学問も同じ目的のために今同時に進めておくべきことであり、二兎ではなく一兎と認識して追っていたりするものですから、二刀流の大谷くんに自分を重ねつつ猛烈に応援しているからであります。

 次は、東京ドームでのジャイアンツ戦で是非先発して欲しいな。

武蔵の剣―剣道二刀流の技と理論 (剣道日本)武蔵の剣―剣道二刀流の技と理論 (剣道日本) [単行本]
著者:佐々木 博嗣
出版:スキージャーナル
(2003-05)
 


shinjitsu

Facebook友人がシェアしてくれていたとあるブログを読み、危うく地雷を踏むところだったので自戒を込めてメモしておきます。

友人からシェアされたブログはこちら。

2013-05-05 文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい/デマこいてんじゃねえ!
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20130505/1367763730

文章を書くに際して十分な知識が必要であるという主旨の内容。それ自体は「まさにその通り!」と共感できる内容。特に、ブログ筆者がアニメ好きのようで、例示がラノベである点にかなり共感。ラノベ原作のアニメ花盛りですが、その原作者の知識レベルは如実に作品に現れるんですよね。ブログに紹介されている『まおゆう』なんかは、確かに経済、世界史の知識が無いと楽しめない内容でありますし、例にはあがっていませんが『シュタインズ・ゲート』は量子力学がベースにしっかりあることが作品の完成度を確実に高めています。

さておき、今回は内容そのものより、内容を補完するために引用されていた文章のこと。

ブログ本文に、藤子・F・不二雄のソース不明の言葉として下記が紹介されていました。
よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。

人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。

それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか? 近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。

多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。

しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。

人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。全てはそこから始まる。

その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。ここから可能性は無限に広がるのです。

私はそういう人が描いた漫画を支持したい。卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。

(※ソース不明) 

素敵な内容ですよね。これを藤子・F・不二雄が発した言葉といわれると、共感度合いも一層高まりまるところ。自分も瞬間的には完璧にヤラれました。が、しかし、(※ソース不明)というのが気になってチョイッと調べてみたら、証明こそされていませんが、限りなく捏造っぽいことがわかりました。※あとからみたら、ブログのコメント欄にもツッコミがはいってましたね。

限りなく捏造っぽいと判断の拠り所にしたブログは下記です。

2007-10-22 藤子・F・不二雄「名言」コピペの嘘/ ※ブログタイトル不明
http://d.hatena.ne.jp/jukeneet/20071022/1193047901
まず、先ほどの検索結果を見ると2007年に入ってからのものがほとんどである。というか2007年2月より前の記事は今のところ確認していない。この時点でもう充分にあやしい。このような発言が本当にあったならばネット上の藤子ファンが引用しないはずがないし、テレビや企画本なんかでも使われているはずだ。少なくともここ10年ほどの藤子関連番組、出版物、ファンサイトのほとんどをチェックしてきた僕が知らないのだから極めてあやしい。
なお、藤子・F・不二雄氏が亡くなられたは、1996年です。

速攻でツッコミを入れたブログも発見。

2013-05-06 藤子・F・不二雄と悪魔の証明/あざなえるなわのごとし
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/05/06/123706

これも、独自に収集した情報を整理し伝えていて参考になります。

今回は、ソース不明としてくれていたことが調べるきっかけとなり、結果、限りなく捏造された情報と判断するに至りましたが、一歩間違えたら、それと知らずに拡散するという愚行を犯すところでした。

最近、多いですよね。真偽の怪しい情報をFacebookやTwitterで初見の人が脊髄反射して拡散してている事象。

最近では、志村けんの美談がありましたね。何年も前に既に捏造情報であることは知られていたのに、なんで今さらという感じで、知らずにシェアしている人に教えてあげようという気すらおきませんでした。しばらく前には、ハーバード大の図書館写真なんかもありましたね。少し主旨が違いますが、路上で著名なバイオリニストのお話も近い事象でしょうか。

志村けん&ビートたけしの美談はデマ…グレート義太夫が否定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130411-00000012-flix-movi
「ハーバード大学図書館、朝4時の風景」はデマ - Hagex-day.info
http://ceron.jp/url/d.hatena.ne.jp/hagex/20120105/p7
Facebookで人気の「有名なバイオリン弾き」は限りなくデマ
http://getnews.jp/archives/284829

  「嘘を嘘と見抜けない人には(インターネットを使うのは)難しい」 (ひろゆき)

結局のところ、これに尽きます。嘘を嘘として扱うのならばよいのですが、嘘と知らずに嘘を広めるのは悪です。

言い尽くされた話ですが、インターネットの普及により個人による情報発信が容易となったのは良いのですが、その情報の信憑性を各自がしっかり見極める力が大切ってことですよね。では、大マスコミが信頼できるかといえば全く信用出来ないのも困ったもんです。ともするとマスコミの方が偏った、疑わしい、悪意ある情報発信をしてくれたりするので、然るべき個人による発信情報の方が信頼できたりするわけです。

ま、少なくともFacebookの「感動したらシェア」とかいう類には安易に乗っからないほうが良いことは確かです。その類の情報を最初に発信をする人は多分悪人。

便利だけど怖い世の中です。
ということで、今月は紀要に載せるために、1つの論文を書くために100の論文を読まないと。

ではでは。

物理・電流 うそ発見器組立キット物理・電流 うそ発見器組立キット [おもちゃ&ホビー]
商標:アーテック



※チラ裏程度の内容です。
gondo
※実際はそんな登板間隔では投げていません。

権藤博 - Wikipedia

 
 さてさて、春の選抜高校野球決勝、済美負けましたね。試合は観ていませんがニュースを見る限り、ここまで4試合投げ続けてきた安楽くんが遂に力尽きた感じの負け方をしたようで。まぁ、仕方ないですよね。お疲れさま。

 その済美のエースについて、何やらアメリカ様からの「投げすぎ」とチャチャが入ったようですね。そのことで投球制限の是非について関連するブログエントリーも増えているようなので乗っかってみます。

※とりあえず、エモやんがアメリカからのチャチャに噛み付いてます。

済美 安楽投手の余計なお世話”: 江本孟紀 エモやんの“いごっそう”日記



大丈夫だとは思いますが、今後、安易に「甲子園で連投制限を入れよう」という流れになることを恐れています。

そうなればアメリカの思うツボ。有望な高校生をメジャーリーグに引っ張りたい肩肘消耗品原理主義者アメリカ様の陰謀に陥ってはいけないのです。

そもそも、本当に連投多投はダメなのでしょうか?
調べた限り、投げ方次第であり、一律の投球数制限で肩肘の故障を回避できるものではなさそうです。

「肩肘は消耗品」という理論は確かに正しいような感じがします。ある一定程度は正しいのでしょう。理論的な裏付け探しの旅にでみたところ、以下のブログエントリーに、

MLB流投球制限への疑問投手は投げ込んで創られるものなんや ...

「そんなことはない。多くのセイバー系シンクタンクが”Pitcher’s Abuse”(酷使)の健康面への悪影響についての研究結果を発表している」という意見もある。
確かにその通り。
100球以上投げさせると、故障の発生率が高まることが証明されている。
とありました。
引用にある研究成果ってのはこれですね。

Baseball Prospectus | Pitcher Abuse Points

 
 確かに、実際に将来を有望視されながら甲子園で酷使したことが遠因で大学時に故障しプロに進めなかった人も数多いたことでしょう。甲子園で投げまくった松坂がメジャーで肘を壊したのは甲子園で投げすぎたからだとか、同様に桑田が肘の手術をすることになった遠因は甲子園での連投が原因だとか言われています。

 その理屈でいくと、マー君も肘を壊すことになりますね。そういえば、今シーズンのスーパールーキー二刀流の大谷くんが甲子園で早々に敗退したことにメジャーリーグ関係者は喜んだとも言われています。

でも、んじゃぁ「何球だったらいいの?」「どれくらい間隔を開けたら良いの?」とツッコミだすとソレに答えるだけの裏付けはどうも無さそうです。(現段階でザックリネット検索した結果)

つまり、現状、投球数や投球間隔に関する絶対的な裏付けはなさそうです。

そりゃそうですよね連投多投をしても、故障しない人もいれば故障する人もいます。個体差が激しく一律で制限は出来ません。

ここまでは、このブログエントリーも参考にさせてもらいました。

野球の記録で話したい : 球数制限是か非か野球史


 もう書き疲れたので結論を急ぎますが、結局は、どうも「正しい投げ方をしていれば、怪我をしない」ということに行きつきそうです。ということなら、ちゃんと肩肘を壊さない投げ方を高校野球の世界で指導されていれば、投げられる人は投げれば良いとなるわけです。(とは言え、今回の済美の安楽君は流石に投げすぎだとは思いますけどね)

正しい投げ方に関しては、このサイトに詳しいお話が書いてありました。

肘や肩が痛くない投げ方はどのような動きから生まれるのか ...

これなんかも面白いです。

怪我をしない理想の投球フォーム: ダルビッシュ IN MLB


 と、情報収集した記録は以上。

 まぁ、ここまで書いてなんですが、プロに行く気が無く、連投しようが何球投げようが、とにかく甲子園で勝ちたい、それで怪我したら野球を辞めるくらいの固い決意を持っている高校球児もいることでしょう。そんな選手を止める、非難する権利は外野にはありません。
 
 ただ、あとで後悔しないよう指導者は正しい知識と見識、本人が気付けない可能性だけはちゃんと伝えてあげてほしいと思うくらい。

 雨雨権堂雨権堂ってことで。

※この話、長距離走の世界で多くの選手が箱根駅伝に全てをかけてしまい、その後伸びない傾向にあるのと似てますね。
※ちなみに桜木花道が山王戦で選手生命にかかわるケガをしながらプレイし続けたのは30巻です。

 SLAM DUNK 30 (ジャンプ・コミックス)SLAM DUNK 30 (ジャンプ・コミックス) [コミック]
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(1996-08-02)





教えない教え (集英社新書)教えない教え (集英社新書) [新書]
著者:権藤 博
出版:集英社
(2010-11-17)

無くしたと思っていたものが見つかった時って嬉しいですよね。

本日、数日前に「無くした」と結論付けていた免許証(通算3度目)が思わぬところから出て来まして、マンモスハッピーだったのです。

にしても、無くなったものが出てきた、つまり「元の状態に戻っただけ」なのに、一度諦めていたものが出てきた時は何でこんなに嬉しいのでしょうか?

 見つかった喜びの勢いで、その理由について考えてみました。考えながら書く、書きながら考えるで完成してるエントリーですので、ツッコミ所が多いところは多目にみてくださいませ。

『お題:何故、無くしたものが出てきたとき嬉しいのか?』
 ※「そりゃ誰でも嬉しいでしょ!」はとりあえず無しでお願いします。

 無くしたことによる幸福度Aが「−10」(つまり不幸)とすると見つかった幸福度Bは「+10」(幸福)とします。元ある状態になっただけなのでプラスマイナス0で良いような話なのですが、「A+B>0」に確実になると思うのです。今回はこの理由を追究してみたいと思います。

ステップ1) 「無くしたかも」と気づいてから「見つかる」までのプロセスを整理してみます。

状況1)免許証が見当たらないことに気づいた瞬間
★心理状況 = 探せば見つかる:90% 「無くした」ことを認める:10%

 状況1においては、一瞬「無くしたのか!?」と脳裏をよぎるものの「まぁ探せば直ぐ見つかる」と楽観視しているので、さほど不幸な気持ちにはなりません。でも、少し不幸を感じていて、その心理状況は10%程度。その「無くした」という不幸割合を基準に「幸福度 : −1」としてみます。

状況2)ひとしきり探す、でも見つからない
★心境状況 = 探せば見つかる:50% 「無くした」ことを認める:50%
 
 探してみてもすぐには見つからず、徐々に「無くした」という事実を受け入れる準備を始めます。改めて免許撮り直すこと(自分はこれが3回目になるため、かなり深刻)や、免許証を持っていないことによる不便を考えだします。この時が「幸福度 : −5」です。

状況3)徹底的に探す、でもやっぱり見つからない、諦めるしか無いのか…
★心境状況 = 探せば見つかる:20% 「無くした」ことを認める:80%
 「絶対こんなトコロには無いでしょう」というところまで、あらゆるところ徹底的に探します。でも見つかりません。焦って探すと余計見つからないものだという根拠のない無理矢理な楽観論を少し残し、一旦探すのを止めます。
この時、「幸福度 : −8」です。3度も無くす自分が情けなくかなりブルーな状況です。

状況4)もう見つからない、諦めるか…
★心境状況 : 探せばみつかる:0.0% 「無くした」ことを認める:99.9%
 状況3から頭の何処かに常時「免許証がありそうなところは?」という思考プロセスがワークしている状況。でも、流石に見つからず観念します。僅かな奇跡に期待しつつ「無くした」ことを認め、改めて自己嫌悪に陥ります。
「幸福度 : −10」この時が不幸最大値となります。
こんな感じですね。

ステップ2) 次に、見つかった時の幸福度について考えてみます。

状況5)見つかった!!!!
見つかったことにより、元の状態になります。マイナスとなっていた幸福度は一気にプラスマイナス0になる、はずです。この考えに基づくと、状況1)のタイミングで見つかっていたら、幸福度は+1、状況2なら+5、状況3なら+8となります。
と、ここまで書いてみて、幸福度という数字では説明が出来ないような気がして来ました。

ステップ3) ということで、もし各状況下で見つかった時の喜びをイメージしてみました。
状況1で見つかっていたら:
 「見つかるとは思っていたけど、一瞬無くしたかと思ったよ〜」
状況2で見つかっていたら:
 「無くしたかと思った・・・、見つかって良かった良かった」
状況3で見つかっていたら:
 「もう半ば諦めてたのに、見つかったよ、自分ってツイてる!!!!」
今回は状況4で見つかりましたが:
 「いやっほーい!日頃の行いか?自分の運気が上昇してきてるのか?神様ありがとう!」
あ、これはつまり「探せば見つかる」という期待値に依存しているんですね。考えてみれば当然じゃないですか・・・ 結局、ここまで駄文を書き連ねるなんて馬鹿だ・・・。

見つかる期待値は90%と自分で思っていて見つかれば、10%分嬉しく思うし、もう諦めて見つかる期待値を0.0%なら見つかった時の喜びは限りなく100%分喜べる。

これってガッカリ度の話にも応用できますね。例えば、成功への期待と、失敗することへ心の準備みたいなモノです。

あるプロジェクトに対し90%の確率で成功すると思っていても、心の何処かで「もしかすると失敗するかも」と準備している。これが10%程度だったします。その状態で結果失敗すると90%成功すると思っていたのに失敗するわけですから、ガッカリ度は、期待90−失敗覚悟10=80(ガッカリ度)と大きいものになります。

半々と思っていたら、仮に失敗してもさほどガッカリしない。これが成功は僅かな期待していなかったのに成功すると、期待10−失敗覚悟90=−80、ガッカリ指数がマイナスになるということで大喜び!となるわけですね。

ここまで書きましたが、実は、ステップ1)の状況2を書いた時点で、つまるところ「期待効用」のお話なんじゃないか?と思ってみたり、プロスペクト理論か?と思ってみたりしたのですがイマイチしっくりこなくて書き続けましたが、結局、この考えが正しいのかどうか判断できずにココまできてしまいました・・・。

有効な回収ができない埋没時間、サンク・コスト万歳であります。

でも、なんかもっと違う視点から考えてみると面白いテーマのような気がしますが、その視点となるような知識を持ち合わせていないのでこれくらいにしておきます。


プロスペクト理論の入門書はこれですかね。

ダニエル・カーネマン心理と経済を語るダニエル・カーネマン心理と経済を語る [単行本]
著者:ダニエル カーネマン
出版: 楽工社
(2011-03)

※WBC開幕戦を観ながらダラダラ書いたのでまとまりありません。すみません。
2013年2月27日付の日本経済新聞の第二部に恒例の就職希望企業ランキングが発表されていました。

いい加減、こんな無意味なランキングやめてしまえばいいのに。日経新聞による日経新聞の為のランキングでしかないわけで、それ以上でもそれ以下でもない。日経が広告を取るためだけに毎年実施しているだけでしょ!と思わざるをえないのです。

回答は7402人の日経就職ナビ2014の会員、つまり就活中の現役大学生。日経紙面では発表してはいますが、結果がまだ当の「日経就職ナビ2014」に掲載されていないんですよね。就活生の為の調査ランキングではないということですね。

※2012、2011の結果は載ってました。
https://job.nikkei.co.jp/2014/open/enterprise/ninki/

2013年のランキングもほとんど代わり映えしません。1位が日本生命、2位が東京海上日動、3位が第一生命、その後10位までにメガバンク、大手生損保で占められています。そして11位がANA、12位が何故か大日本印刷。こんな感じで総合200位までと業界ごとのランキングがつらつらと。

学生さん達はそんなに生損保に入社したいんでしょうかね?旧態依然とした国内生保に何の魅力があるのか全く理解ができません。そして200位までざっと見るとIT系が全く出てこないのも不可思議です。例えばYahoo!や楽天、GoogleやAmazon、Microsoftも名前がありませんでした。本当に人気が無いのですかね。

調査概要に「就職希望企業をデータベースから5社選ぶ」とあるのですが、このデータベースってどんなデータベースだったのでしょうか?まさか日経就職ナビにお金を払っている会社のみってことは無いですよね?これを調べようと思ったのですが、情報を入手出来ませんでした。

ま、百歩譲って学生にとって認知されているランキング200という意味でとらえれば少し価値があるかなと思いますが、酷いのが「志望理由」

例えば日本生命の志望理由の上位5つが「規模が大きい」「一流である」「安定している」「社会に貢献している」「社風が良い」。2位以下も似たり寄ったり。

「規模が大きい」から入社したいと考えるようなお馬鹿さんが多いのでしょうか?希望理由が「一流である」って何?何をもって一流とするのですかね?「安定している」ってwwww。いや、絶対、生損保の仕事は安定していないと思うよ。「社会に貢献している」って・・・。新卒採用面接で社会貢献を全面に出すような学生は残念な学生が多かったなぁ。「社風がよい」って入社しても理解しきれないのに就活生の皆さんはその会社の社風を何故知っているのですかね?

とツッコんでみましたが、これは選択肢の問題ではないかと冷静に思いまして、ちょうど他の大手就職サイトで同じようなランキング調査をしていたので、自分自身を大学院生として登録して回答してみたら、ありましたありました。希望理由選択項目が。多分、日経の調査もこんな選択肢だったのでしょう。
設問(1).で選択した企業の選社理由を以下の中から2つまで選択してください。 2 つ以内
1.安定している
2.業界上位である
3.将来性がある
4.給与・待遇が良い
5.技術力が高い
6.商品(サービス)企画力がある
7.国際的な仕事ができる
8.社会的貢献度が高い
9.社風が良い
10.実力主義・能力主義である
11.経営者が魅力的である
12.広告・宣伝がうまい
13.環境問題に前向きである
14.企業イメージが良い
15.休日・休暇が多い
16.やりたい仕事ができそう
17.文化活動に積極的
18.福利厚生制度が充実している
 この項目から選ばせて何がわかるのでしょうか?まぁ、200位までに入っている会社にとっては学生からどのような印象を持たれているかの定量的な資料にはなりますかね。

あくまで就職「希望」企業、希望を持つことは自由ですからね。大学受験生に対して「入学希望大学」を調査したら、上位に、ハーバード大とか東大京大・早慶が並ぶようなもんですかね。

調査対象や調査方法を変えれば全く違う結果になるでしょうから、これが現在の大学生の実態を反映した結果とは全く思っていません。ただ、あたかも毎年、日経新聞のお得意様がちゃんとランキングするように図られた調査のようで嫌悪感を感じているのです。

採用基準採用基準 [単行本(ソフトカバー)]
著者:伊賀 泰代
出版: ダイヤモンド社
(2012-11-09)

先日、BLOGOSの「Facebookへの4つの投稿パターンからみる性格分類と、今後Facebookへの投稿が減少していく仮説」という記事を読んでから、思うところがあり頭の中でグルグルしていたのですが、そろそろ文章にしてみようかと。

◆Facebookの停滞、思ったより早く来たなぁ・・・
Facebook、IPOまでの勢いが完全に無くなってしまった感じですね。業績も株価も停滞気味。上場して創業メンバーが大金を手にして歯車狂い出したのですかね、株主という重荷を背負ってしまい身動きが取れなくなってしまいましたかね。Googleが天下かとおもったらFacebookが出てきて、当面はFacebookが天下かと思ったら早くもですよ。ベタですが、記事を読んでの最初の感想はコレですよね。
「平家物語」 冒頭
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ
と、こんなことをグルグル考えていたことではないのです。記事の「利用者の分類、考察」や「今後投稿が減っていく仮説」がどうこうというのではないのです。でも、なんかグルグル考えていたのですが、ようやく何を考えているか判りました。

◆道具は道具、振り回されない
自分が考えていたことは、「Facebookは道具なんだから、その人の価値観に基づき好きなように使えば良いでしょ!」ということでした。道具に振り回されてはイカンのです。

仕事の為に使いたい人はそうすれば良いし、子供の写真を友人に見てもらえたければ載せれば良いし、美味しいものの写真を載せたければ載せれば良いと思います。人それぞれ道具を自分が使いたいように使っているまでで、誰かの為に使っているわけではないのですから。使う人の自由。もし他の人の投稿が不愉快に感じるなら表示をブロックすればよいのですよ。それもまた使う側の自由。どうしても嫌ならFacebookなんて使わなければいいだけ。別にFacebookが無くても死ぬわけじゃないんだし。

◆何で投稿する人が少なくなったのか?
Facebookのアクティブユーザー減少しているみたいですけど、投稿はしないけど定期的にFacebookを開いて他の友人の投稿をチェックしている人、グループのみ使っている人は多数いる感じ。

以前は色々と投稿されていた人も最近はさっぱり投稿しなくなった人も結構いますよね。まぁ、投稿する意味を見いだせなくなった、飽きたということであればそれはそれ、いいじゃないですか、あくまで道具なわけで。

でもですね、何で投稿が減ったのですかね。その理由もグルグルと考えていたのです。多分、Facebookのユーザーが増え、つながっている友達がプライベートと仕事の境が無く広がってしまったからでしょう。「友達といるときの自分」と「仕事での自分」をFacebook上で使い分けがうまく行かず疲れちゃった人が多いのでしょうね。日本人は「他人の目」を過度に気にしますからね。

実はそれってFacebookの「公開範囲設定」を上手に使いこなせばストレスはなく使えるのでしょうけれど、それがイマイチ浸透していないしイチイチ使うの面倒ですからね。「公開範囲設定」があまり使われないってのはFacebookの誤算かもしれませんね。

ま、仕事だろうがプライベートだろうが基本的には同じスタンスであれば、Facebookも大して疲れるものではないのですけどね。そうもナカナカいきませんですかね。

◆LINEもそんなに長くないでしょ。
そんなタイミングでLINEの爆発的普及。いやはやホント、SNSの変化スピードにはオジサンついていけません。
でも、そんなLINEも長くは続かないと見ております。今後、ごちゃごちゃ機能が増えてきてユーザーのLINE疲れを起こすのも時間の問題でしょうね。

なんかやはりとりとめの無い文章になってしまいました・・・。自分のSNSとの付き合い方、スタンスも書いておこうかと思ったけどまたいつかにすることにします。

Facebookは道具。道具は使いよう。道具に振り回されたら人間\(^o^)/オワタですよ。

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「体罰」については柔道連盟の話も盛り上がっていますが、今回は「公教育の現場」で発生している「いじめ」「体罰」について、私見を文章にしておこうかと。※まだまとまりが無いので、今後追記修正する可能性大です。

「体罰」は簡単な話。「体罰厳禁」は既に定められているわけですから、それを徹底すれば良いだけ。「指導者は指導方法の手段としての暴力は一切禁止」、これを破れば刑法によって裁かれるとすれば良いのでしょう。尊敬する桑田真澄先生も

「絶対服従の仕返しされない構図で行われる一番ひきょうな行為」
「ダメなものはダメ。論理はいらない」


とおっしゃられています。
桑田氏「体罰はひきょう」 大阪市教委の研修会で

一部に体罰擁護容認派の方もいるようですが、ここは徹底して排除しないといけないと思います。いかなる事情があろうとも体罰は厳禁、こうしておかないといつまでも指導側のレベルが上がらないでしょうね。

まずはこれですが、「言葉」をどうするか?という問題は残りますけどね。体罰が仮になかったとしても「恫喝」だの「脅迫」だのと言い出し、それを告発する人、最悪の場合自殺してしまう人がいずれ必ず出てくるでしょう。明らかに生徒本人に問題があると思われても、訴えたもの勝ち、指導者側の立場が圧倒的に弱くなることが想定されます。

「セクハラ」「パワハラ」問題と似てきますね。同じシチュエーションで同じ言葉を発しても、人により受け取り方、受け取られ方が異なるなんてことになるわけで、取締が極めて難しい、ルールに出来ないですよね。一部に体罰を厳格に取り締まれば日本が弱くなるみたいなことを言う人達がいるようですが、日本のスポーツを弱体化するかどうかは現段階では誰も解りませんので、問題になった以上、一旦厳格な規制を「仕方がない」と割り切り受け入れるしか無いですね。

ということで、課題は残りますが「体罰」についてはこんな考えです。

次に「いじめ」について。これもそんなに難しい話ではなく、人格が形成される過程にある子供の時に、家庭、学校を通じて

「人が嫌がることをしてはいけない」
「他人を傷つけてはいけない」

という「当たり前」と思われる事を周知徹底、教育していけば良いと思うのですけどね、それが出来なくなってしまっているのが実状なのでしょうね。

「何故、人を傷つけてはいけないか?」という事を考えるって実はものすごく重要なことだと思いますが、最近の小中学校では教育されているのですかね?これは家庭で教育されてるべきことのような気がしますが、世の中を見ているとそれが出来る親も少なくなってきているのでしょうね。子供に対して感情的にキレているとしか思えないような言動を公共の場で躊躇なくとっている母親を時々観ますが、そんな親には無理でしょうね。

さておき、家庭の要素を考えだすと解決方法が途端に複雑になるので、今回は「学校内でのいじめ問題解決」に焦点をあて考えることにします。前提は「いじめ」問題を解決できないのは、学校の問題であるとします。問題があるといっても個々の学校の問題ではなく、おそらく教育委員会を始めとした学校制度の問題、制度が機能していない、もっと言えば時代にあわせ変化できないまま、腐ってしまっているからでしょう。

「昔はこんな事は問題にならなかった」などと言う人もいますが、これは単に過去を美化しているだけで、いつの時代にも「いじめ」は一定数発生してたはずです。そもそも「いじめ」というのは動物の世界でも存在していて、人間が集団で生活を営む以上、必ず「いじめ」は発生するもの。子供の世界だけではなく、大人の世界でもいつも「いじめ」は存在しているわけで、根絶することなど不可能でしょう。それを前提にルールで抑え秩序を守ることが出来るのが人間でもあるわけですよ。

今、その「いじめ」が大問題になるならば、ルールが合わなくなってきているということであり、ならば変えていきましょう、ということであると思うのです。

ただ「いじめ」問題の解決策については、多くの議論をされているようですが、この問題を考える上での最も大切なことは「定義」だと考えています。定義が決まり初めて、監視機能や解決方法の検討が可能になるはず。

これは、自分以外の人に対して日本人としてどのように接することが「当たり前」なのかを決める作業であり、日本人が日本人であるための価値観の再構築の作業ではないかとすら思うのです。この「いじめ」の定義を有識者だけで決めさせてはいけない気がします。全ての日本人が議論に参加して決める必要があると思うのです。

これをオールジャパンで検討を始め決めるとなると、途方も無い時間がかかり今起きている問題の解決が先送りされ痛ましい事件が繰り返されるので、自治体主導で自治体ごとに早急に決めて施行することが良いのでしょう。どこかの自治体で成功モデルが出来ればそれを横展開する。そういう柔軟性が教育には必要であり、その為には一部の教育利権団体が幅をきかせていてはいけないわけです。

と、まずは「定義」を決めることが何より大切だということです。

私見をもう少し書いておくと、現状に即して可能な方法を取ろうとすると大きな変化は望めないので、自分はまずは極端な方法をとってから実態にあわせ調整をしてけば良いという考え方を持っています。

例えば、いじめ問題の解決策は、学校教育を聖域化せずに、子供に対して現在の刑法を厳密に適用するというのも1つの手段だと思います。いじめ問題を学校に解決を委ねない。イジメを犯罪と明確に教育する。被害者は公権力の助けをいつでも求めることができる。(その為に定義が必要だと考えているわけでもあります)

まぁ、いきなり警察・検察というのもアレなので、第三者機関を設置して、どんな些細なイジメであっても告発できるようにしておきましょうか。その第三者機関が調査に入り裁定を下す。簡易な裁判制度も必要ですかね。その際の責任は全て子供の親が負うとしておけば、子供がイジメを働かないよう家庭での教育への意識も高まるでしょう。イジメるのもイジメられるのも全ては親の責任。子供の言動の責任は全て親が負う。学校の責任にしない。こう明確にしておけば良いと思うのです。

暴論ですかね。すぐに試してみても良いと思うのですがね。
ということで、「体罰」と「いじめ」に関する戯言は以上なのです。

ついでに戯言をもう一つ。「いじめ」問題関連が暴走し、いつか「ドラえもん」が発禁になるのではと心配しています。あのマンガは見方によっては「いじめ」マンガですからね。既に、そうした考察がネット上にはあふれているようですが、「いじめ」を助長する要素も少なくない一方で「ドラえもん」はいじめ問題解決のヒントも多くあります。まぁ、これを題材に学校の授業で「いじめ」を考えるくらいの余裕があれば良いのですが、ドラえもんに限らずマンガが「いじめ」を増長させるといって内容検閲が入る時代がくるかもしれませんね。そんな日本になったらそれこそ末期ですね。


 「のび太」という生きかた―頑張らない。無理しない。「のび太」という生きかた―頑張らない。無理しない。
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いじめとは何か―教室の問題、社会の問題 (中公新書)いじめとは何か―教室の問題、社会の問題 (中公新書)
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いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)
著者:内藤 朝雄
販売元:講談社
(2009-03-19)
販売元:Amazon.co.jp

「少しの設定変更で人間は恐怖を感じるようになる」っていうお話です。

最近、駅のホームドアの設置が進んでますね。山手線も順次設置されているようで池袋駅も一部設置完了しております。そのホームドアで恐怖心について考えてしまう出来事があったのです。

そのきっかけは下の写真の状況。 

DSC_1099

閉まっているはずのホームドアが開いていたのです。正確には「開いていた」というより、運用前で「まだ使っていない」状態。これを見て自分は本能的に「怖い」という感情が湧いてきたのです。そんな自分に、「あれ?なんでだろ?」と不思議に思ったのです。

先日まで何の柵もない状態であり、その際には何の恐怖感を感じることは無かったのに。写真には取りませんでしたが向かい側はまだホームドアは設置されて無く、試しに近づいてみたのですがいつものホームであり恐怖心は全く感じませんでした。

つまるところ、

[ホームドア設置前]
  ホームドアが無い状態が当たり前 ⇒ 慣れてしまっていて恐怖(危険)を感じない

[ホームドア設置後]

 ホームドアが設置された ⇒ 落ちる危険が減った ⇒ 安全性が高まった。
 本来閉まっているはずのドアが開いている ⇒ 落ちる危険が高まった ⇒ 落ちるかもしれない ⇒ 怖い

まぁ、こんな思考が脳内で働き本能的に恐怖信号を発信したのでしょうね。まぁ、なんてこと無い話なのですが、人間って面白いなって思ってしまった。ただそれだけなのですが、なんかもっと違う角度から深堀りできるような気がするのです。

例えば、「環境が変わってしまい、それまで普通に対応出来たことが急に怖くなる。」とか「時に恐怖心って邪魔だよね。安全なところにばかりいると恐怖心センサーが過敏になる」とかね。でも思考が止まってしまったのでこれくらいで。

安全第二安全第二
アーティスト:所ジョージ
販売元:エイベックス・エンタテインメント
(2006-07-19)
販売元:Amazon.co.jp

先日に続いて塾業界ネタです。小生、数年前から学習塾業界で仕事をしているのですが、これは市場にとても魅力を感じているからで、今回はその理由について書いてみようかと思います。

 理由はいくつかあるのですが、その中でも最大の理由は学習塾市場が「中小零細がひしめく成熟市場」だからです。こういう市場はとても「面白い」と思うのです。もちろん「面白い」というのビジネスで一気に成長する・成長させる機会があるという点で。ということでマクロ視点からになりますが「成熟市場」「中小零細ひしめく市場」の2つの点を、最近作成した資料を使って見て行きたいと思います。

◆学習塾業界は成熟市場

jyuku01
 
 学習塾の市場規模の試算はいくつかあるのですが、学習塾白書によると1兆3000億円規模。この市場規模が1990年代中頃から横ばいで推移しているのが現状です。「少子高齢化」といわれている通り、子供の数は減ってきていますが、市場は小中学生の通塾率の上昇により市場規模は維持されています。その市場の中で、上場企業19社(2011年3月時、現在は17社)の売上合計を見てみると上昇傾向にあります。(詳細を見ていくと既存事業は縮小傾向にありながらM&Aで売上を上げている会社がほとんどなのですけどね)

 市場規模は伸びてはいませんが多くの市場が縮小傾向にあるなか、横ばいで推移している市場というのは十分に魅力的ですよね。さらには景気が悪くなっても家庭における教育支出は最後まで削られない傾向にあります。つまり学習塾業界は比較的景気に左右されにくい業界なんですよね。

◆中小零細ひしめく市場

jyuku02


 個人事業主が6割。従業員規模10名以下が8割。こんな中小零細個人がひしめく業界は他には無いですね。大手が強いようにも見えますが、売上シェアはまだ2割程度。これは学習塾が現状。人が人に教えるというビジネスモデルが主流であり、労働集約型であるため規模の経済が働きにくいというのが理由の1つです。さらに人の力が業績が左右されるので大手でなくとも局地戦で個人で何とかやっていけてしまうのが学習塾なんです。

 この学習塾業界、学習塾を「サービス業」として考えれば打つべき手立ては山ほどあるのですが、全体的に考え方が古い経営者、「教育」を聖域化して経営視点で考えられない経営者が多いのが実態です。要は業界全体として旧態依然としているのです。こういう市場であるからこそ、今後、革新的な技術・サービス、高い経営管理レベルを持って臨めば既存企業を一気に駆逐し市場を奪取できる可能性を秘めていると考えています。そう、一昔前の外食市場のように。

 こういう市場であるため、新規参入してくる企業も多数です。成長の手法の1つは「フランチャイズシステム」であることも事実であり、実際にFC本部の数も年々増えてきています。
(FCってそもそもどうなの?とか現状の学習塾FCがどうなの?というと思うところありますが、そのことはまた別の機会ということで、今回は割愛)
jyuku03

 ということで、ビジネスを考える上で、新たに創造され成長していく新市場も魅力的ですが、学習塾業界のように成熟していて、大手の寡占化が進んでいない、中小零細企業がひしめく市場で成長分野を見出すのも、それはそれで大変魅力があると考えています。

 教育は国の礎、今後、政治も教育に対して力を更に入れていくことでしょう。IT化の波も遅ればせながらようやく学習塾業界に及んできています。今後、大きな変化を捉えビジネスを広げる機会を捉えていきたいなぁと、そんなことを考えながら学習塾業界に身を置いている次第です。

 もちろん、今回はマクロ視点での考察であり、実際に勝負に出る際には他の要素を細かに観察し検討する必要はありますが、競争相手が資本力で太刀打ちできないような大企業ではなく、中小零細ばかりということであれば可能性は大いにありますよね。この市場の1%を奪取しただけでも130億円、10%で1300億円ですからね。

 伸びない市場で稼ぐ!成熟市場の2ケタ成長戦略伸びない市場で稼ぐ!成熟市場の2ケタ成長戦略
著者:エイドリアン・J・スライウォツキー
販売元:日本経済新聞社
(2004-04-24)
販売元:Amazon.co.jp




ライフサイクル イノベーション 成熟市場+コモディティ化に効く 14のイノベーションライフサイクル イノベーション 成熟市場+コモディティ化に効く 14のイノベーション
著者:ジェフリー・ムーア
販売元:翔泳社
(2006-05-16)
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お仕事の一環で学習塾業界、特に個別指導塾業界に関する考察していたのですが、業界を俯瞰していたら「コモディティ化」の切り口で整理してみたら意外としっくりきたので、その部分だけ一部メモとして晒しておこうかと。

【基礎情報1】「コモディティ化」とは
ある商品カテゴリにおいて、競争商品間の差別化特性(機能、品質、ブランド力など)が失われ、主に価格あるいは量を判断基準に売買が行われるようになること。
 
【基礎情報2】「コモディティ化した市場で生じる現象」
1) 価格競争の激化
2) 大手企業による寡占化進行
3) 新興企業の台頭

【基礎情報2】を受けて「学習塾市場の現状」確認
1) 価格競争の激化してる?

 ⇒ 確実に激化してきています。(実際のところ「チラシ上で安く見せている」だけというのも多いですけどね。)
2) 大手企業による寡占化進行してる?
 ⇒ 進行してます。市場規模は横ばいの中、上場企業19社(調査時点、今は17社)の売上合計は伸び続けてます。生き残りをかけた熾烈なM&Aで売上伸ばしてます。寡占化進行しているとはいっても、学習塾市場における上場企業の売上比率は約2割で、まだまだ中小零細個人がひしめく市場であることは変わりないですけど。
3) 新興企業の台頭してる?
 ⇒ 学習塾フランチャイズチェーンの数は2001年以降右肩上がり。その他の新しいタイプの塾チェーンも見られます。新興企業の多くは「低価格」を全面に勝負し一定の支持を得ています。

ということで、コモディティ化した市場で生じる現象、いずれもバッチリ当てはまったりします。ということであるならば、今後の学習塾経営におけるキーワードは「脱コモディティ化」と言えそうです。その為には、コモディティ化する原因をまず確認。

【基礎情報3】「コモディティ化」の原因
1) モジュラー化
2) 中間財の市場化
3) 顧客価値の頭打ち

さて、この「コモディティ化の原因」を学習塾業界に当てはめてみると、モジュラー化はすなわち「FCパッケージ化」、中間財の市場化は「教材・教務システム市場」とすることができるでしょう。この2つについてはもう如何様にもしがたいですね。となると、原因で注視すべきは「顧客価値の頭打ち」となるでしょう。

【基礎情報4】「顧客価値の頭打ち」の背景にあるもの
顧客側における商品・サービスに対する
 1) 低関与化
 2) 知識・弁別力の低下 

この背景を元に考察してみると、個別指導塾に対して消費者の低関与化、知識・弁別力が低下している、つまり平たく言うと消費者が「個別指導塾はどこも大差ない。」という考えていると考えることができます。特にフランチャイズ型の個別指導塾においてそれは顕著ではないでしょうか。

業界にいる方においては否定したくなることかとは思いますが、業界全体を俯瞰してみると「個別指導塾は結局どこも一緒」と認識されていることは否定できません。これを否定するのは、断末魔が聞こえる日本電機メーカーと一緒。

すなわち、消費者にしてみれば「全く使わなそうな機能」をごちゃごちゃつけてメーカーは一生懸命に新しいテレビを売ろうとしますが、消費者サイドにしてみれば「どれも結局大差ない」と思うわけです。消費者がそう思っていても、メーカーサイドは「うちの商品は他社より優れている、大きな差がある」「薄型テレビはどれも大差ないなんてことは無い!」と考えているわけで結局それと似たりということです。

さて、本題に話を戻りまして、「業界考察」なので「個別指導塾はコモディティ化している」という考察はここまでなのですが、少し対策についても考えてみようかと。

ということで個別指導塾の「脱コモディティ化」には「消費者の低関与化/知識・弁別力の低下に対応」すれば良いということです。

原因と対策がわかればあとは施策。施策はつまるところ、消費者を塾に対して高関与化させればよく、知識・弁別力を高めれば良いということになります。つまり差別化するってことなのですが、業態やプランなどはイノベーションレベルで差別化されないかぎり、多少変えた所で焼け石の水です。となると対策は「消費者とのコミュニケーション」しかないのです。

ま、なんともクドイ説明になりましたが、実はこれって個別指導塾として「あたりまえ」のことを「あたりまえ」にやっていれば実現できてしまうことでもあるんですよね。それに加えて上記の実態を認識し意図を持ったコミュニケーションを生徒・保護者と取っていけばテッパンということですね。

これがセミナーなら、ここから具体的な事例・施策という流れになるところですが、業界考察なので、これでおしまい。ただ言えるのは、いわゆる成功している個別指導塾っていうのは意識しているかしていないかはさておき、「消費者の低関与化/知識・弁別力の低下に対してコミュニケーションで対応」しているんですよね。

私の本棚にあるコモディティに関する教科書は下記2冊。(アカデミックな本なのでご留意ください)

コモディティ化市場のマーケティング論理コモディティ化市場のマーケティング論理
著者:恩蔵 直人
販売元:有斐閣
(2007-07-02)
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価値共創時代のブランド戦略―脱コモディティ化への挑戦価値共創時代のブランド戦略―脱コモディティ化への挑戦
著者:青木 幸弘
販売元:ミネルヴァ書房
(2011-04)
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