麻雀は「負けないこと」を楽しむゲームではないかと、最近つくづく思います。
自身が上がれることはもちろん嬉しいけれど、他家のリーチを読み切って自身が聴牌で流局できたときの方が嬉しさが大きい気さえします。
実力が均衡していれば、麻雀は「勝ったり負けたり」です。
短期決戦であると、アマチュアがプロに勝つことさえあるゲームなのは、麻雀の魅力ですが、それでも長期で戦績を積み重ねれば、やはり差がついてくるのです。平均着順がわかりやすい指標になろうかと思いますが、その指標に差がついてきます。
同じメンツで長時間対局していると、全く手が入らない(配牌最悪、ツモも利かない)ときもあれば、何も考えなくても高打点の手で上がれることがあるのですよね。(5巡目リーチで、一発ツモ出来る、そんな局が続くなんてときがそれです)
そんな麻雀ゆえに、「勝てる時にしっかり勝ち、勝てない時に負けない」という打ち方が平均着順を上げていく要諦なんだろうな、と、いまさならながらに思うのです。
瀬戸熊プロとイベントで対局させていただいたことがあるのですが、対局後に1つ質問させてもらったことがあります。
「麻雀って、もう自分じゃどうしようもない悪い流れになるときがあるじゃないですか、そんなときどうしたら良いでしょうか?」
という質問です。
その質問に対して、(言い回し詳細は覚えていないのですが)瀬戸熊プロは、
「一翻下げる」
という助言をくれました。
劣勢な状況(どうしようも無いとき)では、少しでも可能性を追いたく(一発逆転的な発想)なりがち。でも、どうにもこうにもならない状況ゆえ、うまく行かない。あと1枚がずーっと入らないなどになってしまうのですよね。
そんなときは、一翻下げて構えるということなのでしょうね。自身のスタイルにこだわりすぎず、状況に応じて柔軟にスタイルを変えていくことも強さの1つなんだろうな、と。
「克己心」
瀬戸熊プロにサインを頂いた際に書いてあった言葉。今年の自分のテーマです。
負けないこと(4着にならないこと)を楽しむ麻雀、4着なら3着を目指す、3着なら4着にならないことを最優先するときもあるということを常に心のどこかに持っておきたいな、と思います。
自身が上がれることはもちろん嬉しいけれど、他家のリーチを読み切って自身が聴牌で流局できたときの方が嬉しさが大きい気さえします。
実力が均衡していれば、麻雀は「勝ったり負けたり」です。
短期決戦であると、アマチュアがプロに勝つことさえあるゲームなのは、麻雀の魅力ですが、それでも長期で戦績を積み重ねれば、やはり差がついてくるのです。平均着順がわかりやすい指標になろうかと思いますが、その指標に差がついてきます。
同じメンツで長時間対局していると、全く手が入らない(配牌最悪、ツモも利かない)ときもあれば、何も考えなくても高打点の手で上がれることがあるのですよね。(5巡目リーチで、一発ツモ出来る、そんな局が続くなんてときがそれです)
そんな麻雀ゆえに、「勝てる時にしっかり勝ち、勝てない時に負けない」という打ち方が平均着順を上げていく要諦なんだろうな、と、いまさならながらに思うのです。
瀬戸熊プロとイベントで対局させていただいたことがあるのですが、対局後に1つ質問させてもらったことがあります。
「麻雀って、もう自分じゃどうしようもない悪い流れになるときがあるじゃないですか、そんなときどうしたら良いでしょうか?」
という質問です。
その質問に対して、(言い回し詳細は覚えていないのですが)瀬戸熊プロは、
「一翻下げる」
という助言をくれました。
劣勢な状況(どうしようも無いとき)では、少しでも可能性を追いたく(一発逆転的な発想)なりがち。でも、どうにもこうにもならない状況ゆえ、うまく行かない。あと1枚がずーっと入らないなどになってしまうのですよね。
そんなときは、一翻下げて構えるということなのでしょうね。自身のスタイルにこだわりすぎず、状況に応じて柔軟にスタイルを変えていくことも強さの1つなんだろうな、と。
「克己心」
瀬戸熊プロにサインを頂いた際に書いてあった言葉。今年の自分のテーマです。
負けないこと(4着にならないこと)を楽しむ麻雀、4着なら3着を目指す、3着なら4着にならないことを最優先するときもあるということを常に心のどこかに持っておきたいな、と思います。